阿蘇神社と国造神社
阿蘇神社といえば・・・
震災直後の「楼門」「拝殿」倒壊のニュースの映像がとてもショックだったのですが・・・
現在は仮の参拝所が出来ていて本当に沢山の方々が並んで参拝していました。駐車場に入るのに並ばないといけないくらい多くの方が来ていて華やかで活気があり変わらず人気の神社なんですね(外国の方も来てました~)
御創立は孝霊天皇9年(紀元前281年)とあり、約2300年の歴史があります!
主祭神・・・
二の宮 阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)
三の宮 國造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)
孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝える。阿蘇神社大宮司を世襲しこの地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。
国史では、「健磐竜命神」および「阿蘇比咩神」に対する神階奉叙の記事が見え、健磐竜命神は天安3年(859年)に正二位勲五等、阿蘇比咩神は貞観17年(875年)に従三位までそれぞれ昇叙された。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社 名神大」および「阿蘇比咩神社」と記載され、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列している。
「日本三大楼門」と言われている楼門は高さが18mあり二層楼山門式という珍しい楼門です。残念ながら拝見することはできません・・・
多くの方が参拝に来ることが復興に繋がるんだと思います!
国造神社
阿蘇神社の北にあるので「北宮」とも呼ばれているそうです。
熊本県内で最も古い神社の一つです。
阿蘇神社の雰囲気とは違い静かな落ち着いた感じです。
こちらまではなかなか足を運ぶ参拝者は少ないようですが、是非寄って行ってほしいですね・・・
延喜式神名帳に肥後国は四座が記されているが(健磐竜命神社・現阿蘇神社、阿蘇比咩神社・現阿蘇神社、国造神社、疋野神社)、その四座のうちの一座であり、熊本県内において、最も古い神社の一社である。肥後国誌によれば、崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、景行天皇18年に、国造神社を修造し祭典を整えたとある[2]。
父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命と共に阿蘇の地を開拓し、農耕・植林などを指導したとされる速瓶玉命(はやみかたまのみこと)を主祭神とし、御妃、御子息の合わせて4柱の神を祀る
御祭神
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)
雨宮媛命(あまみやひめのみこと)
高橋神(たかはしのかみ)
火宮神(ひみみやのかみ)
ここからまた新しい命の誕生が?
鯰宮
鯰伝説・・・阿蘇谷は大昔湖でした。そこで健磐龍命(たけいわたつのみこと)が水を流し農地を作ろうとしました。
外輪山を蹴破り湖の水を流そうとしましたが、大鯰が横たわり邪魔していたため、退治して湖の水を流しました。
その時の鯰の霊を祀ったのだそうです(国造神社の境内にあります)
静かな杜にひっそりと落ち着いた雰囲気です。
スタンプがありました。
先に国造神社参拝してから、阿蘇神社に行ったのでそちらで御朱印をいただくときに、日付を入れてくださいました。
西厳殿寺(さいがんでんじ)奥の院
阿蘇山にあります
開基には二説ある。寺院が採る726年(神亀3年)説は、天竺毘舎衛国から渡来した僧・最栄が聖武天皇の勅願を受け、阿蘇山上に上り阿蘇明神・建磐龍命(たていわたつのみこと)[3]を感得したとするものである。1144年(天養元年)説は、比叡山の慈恵大師良源の弟子・最栄が阿蘇神社大宮司友孝の許しを得て、阿蘇山上に上ったとする説である[4]。どちらの説にも共通するのは、阿蘇山の火口の西の巌殿に十一面観音菩薩を安置して庵(山上本堂)を開き、絶えず法華経を読誦したため「最栄読師(さいえいとくし)」と呼ばれたとするものである。
「御朱印」は売店の方にあります。
阿蘇山上神社
古代から阿蘇中岳火口は「心霊池」と呼ばれて神宮とされていました。
最後に
前日に旅行が決まったため下調べが出来ていなくて、後から阿蘇の神社で行ってみたいところが沢山ありました。残念~
古代から神秘的な聖域が沢山ある阿蘇!
まだまだ興味は尽きません・・・来年も三男にお願いしよう・・・絶対自力で行けといわれるねw
急いで準備して行ったので帰ってきたら台所が悲惨な状態になってましたー
(前日のシチューが・・・悲惨すぎてここでは書けません!1日で何でこんなことに)
恐るべし我が家の三男四男の何にもしない最強コンビw
しかし旅費を出してもらったため文句いえません(涙)
もう大掃除に洗濯、たまった皿を洗いごみを片付け・・・クタクタ
教訓タダで旅行に行けた代償は大きかったー