拾い猫ヤマト

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拾い猫ヤマト

日常を書いていきます

「住吉神社」と「忌宮神社」~下関

長門国一の宮「住吉神社」

 仲哀天皇の9年(200年)三韓征伐の際、新羅に向かう神功皇后に住𠮷三神(住吉大神)が現れ

「我和魂(にぎたま)は 玉身(みみ)の寿命(みいのち)を守り
 荒魂(あらたま)は 軍船(いくさのふね)を導かん」

との御神託を得て、戦勝した神功皇后はこの地に 祠を建て住𠮷大神の荒魂をお祀りしたことが始まりとされる。

古代、神霊は「荒魂」と「和魂」の二つより成り立つとされ
荒魂・・・勇敢果敢に活動する御霊。
和魂・・・穏和で得を備え、平和をもたらす御霊。
荒魂を下関「住吉神社」、和魂を大阪「住吉大社」にてお祀りすることになります。

 

 とても静かな落ち着いた杜の奥にひっそりと建っていました。朝ということでまだ参拝者も少なかったせいか、しーんと静まりかえってここだけ違う空気のようでした・・・

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 御祭神

第一殿 住吉大神 (底筒男命・中筒男命・表筒男命)荒魂
第二殿 応神天皇 (八幡大神)
第三殿 武内宿祢命たけのうちすくねのみこと (高良明神)
第四殿 神功皇后 (息長帯比売神)
第五殿 建御名方命たけみなかたのみこと (諏訪明神)

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 住吉大神とは伊邪那岐命が黄泉の国から帰り「禊祓(みそぎはらい)」の際に出現された神様なので、「お祓い」の神様としても有名です!

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本殿は国宝

室町初期の代表的な建築です。

九間舎社流れ造り・・・五社殿を合いの間で連結し社殿上の正面屋根(檜皮葺)
に、千鳥破風をのせ春日造りと流れ造りを組み合わせた特徴ある建物です。

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こちらの大楠はパワースポットです

武内宿祢命が三韓出陣の際に植えたと伝えられる大楠です。
根回りは60mの及ぶそうです・・・すごーい圧倒される
根っこが凄い!ほんとに生き物が這うような迫力です

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日本三大住吉の一つは博多にある住吉神社なんですね。
子供のころから参拝してたのに知らなかった~意外とそんなもんですねw

次は地元ですね~

 長門国二の宮忌宮神社

仲哀天皇・神功皇后が西国平定の時に、ここに「仮の皇居」として豊浦宮を建て7年間滞在したといわれています。

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仲哀天皇・神功皇后・応神天皇が祀られています。
古来、文武の神(勝運の神)として歴朝の尊崇(そんすう)厚く、また安産の神として庶民の信仰を受けてきた とあります。

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実は この日は骨董市があっていてとても賑わっていました~活気があります!

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 仲哀天皇8年(199年)に天照大神住吉三神による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのに始まると伝える。聖武天皇の時代に香椎宮から神功皇后・応神天皇を勧請・合祀し、仲哀天皇を祀る神殿を「豊浦宮」、神功皇后を祀る神殿を「忌宮」、応神天皇を祀る神殿を「豊明宮」と称し、三殿別立となっていた。中世に、火災により全て「忌宮」に合祀したことから「忌宮」と呼ばれるようになった。延喜式神名帳では「長門国豊浦郡 忌宮神社」と記載され、小社に列している

引用忌宮神社 - Wikipedia

「 香椎宮」がでてきます!

この時のブログにも相変わらず次男と四男のコトが出てくる(笑)~

 

鬼石と数方庭

豊浦宮に新羅の塵輪(じんりん)が熊襲を煽動し攻め寄せ皇軍を奮戦したが、宮門は破られ武将が相次いで討ち死にしていく様をご覧になった仲哀天皇
大いに憤らせ給い、御自ら弓矢を執って見事に塵輪を射倒された。
これを見た賊どもは色を失い退散した。皇軍は歓喜のあまり矛をかざし旗を振って塵輪の屍の周りを踊りまわったのが「数方庭」の起こり・・・と伝わる。

塵輪の首を切りその場に石を置いたが塵輪の顔が鬼に似ていたことから「鬼石」と呼んだ。

それ以降出陣の際はこの「鬼石」の周囲を踊りまわったとされる。

そばに寄るのがちょっと怖い感じですね~

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チャボ?
最初オブジェ?かと思うほどじーっとしていたのが、いきなりバタバタ動き出したんでうぉ~びっくり!こうやってみると尾っぽにかけて綺麗な線ですよね~

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最後に

福岡では神功皇后の逸話が伝承されてる神社がほんとに多いですけど、海を渡ったこの下関で触れることができて感激です!
神話ではなくやはり実在したんではないか?と思わせてくれる今回の旅でした!

しかしもっともっと勉強しなくては(汗)・・・

古事記/日本書紀 (まんがで読破Remix)

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