庭園の美しさを堪能
今度は長府にやってきましたー
江戸時代長府毛利藩5万石の城下町として栄えました。武家屋敷の遺構などがあり風情豊かな街並みです。下関市の東側に位置します。
「長府」とは「長門国府」を縮めた名で、古名豊浦と呼ばれていました。
仲哀天皇が熊襲征伐の折
穴門(あなと)の豊浦宮に宮を営む。天皇はこの地に神功皇后とともに7年住まわれた~日本書紀より
「穴門」とは「長門」のことで、「豊浦宮」とは「長府にある忌宮神社」のことで国府がここにあったことは間違いないようです!
ここでも神功皇后に出会えるなんて~お会いしてはないですが嬉しいですw
長府毛利邸
長府毛利家14代当主の毛利元敏(もととし)公が、東京から下関へ移り住みこの地に建てられた邸宅です。明治31年に起工し完成は明治36年です。その後大正8年まで長府毛利家の邸宅として使われました。
なんと敷地が約10、000平方メートルもあります!
最初石垣と白壁に囲まれているのでお城があるのかと思ってしまいました・・・
杉苔とシダがとても生き生きしています。
日本庭園には赤い椿の花がよく合います・・・
なかに ふぐがいますよーさすが下関ですね
お天気もよくてこんな素敵な場所で読書などしてみたい・・・
そしてそのままお昼寝したいw
明治35年11月、明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際こちらのお部屋にご宿泊されました。
長府庭園
長府毛利藩の家老格であった西運長(にしゆきなが)のお屋敷跡です。
四季折々桜、松、ツツジ、金木犀、紅葉、菖蒲が楽しめる廻遊式庭園です。
孫文蓮
大正7年に来日した「中国革命の父」孫文が革命援助の御礼にと贈られた4粒の蓮の実
蓮博士の大賀一郎氏が育成し発芽させた蓮の花が、7月〜8月にかけて咲くのだそうです。
白地に淡いピンクの花
夜明けとともに咲き始め早朝満開となり午後には閉じてしまいます。
2,3日繰り返し4日目にはすべての花弁を落とし花托となります
見ることができる期間が短いので貴重ですね~この時期なんと朝5時から開園しているそうです。
http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/flower/sonbunren/choufu_teien.html
功山寺
長府にある曹同崇のお寺で、長府毛利家の菩提寺です。
創建は1327年で、1333年には後醍醐天皇の勅願時にもなっています。
国宝の仏殿です!
功山寺
柱の墨書により元応2年(1320年)の建立と判明する。入母屋造、檜皮葺き。一重裳階(もこし)付き。方三間の身舎の周囲に裳階をめぐらした形になる。堂内には本尊千手観音坐像を安置する。典型的な禅宗様仏殿で、鎌倉時代にさかのぼり、建立年代の明らかなものとして貴重である。
重厚で美しい造りに圧倒されます・・・
高杉晋作像
美しいだけではなくこの功山寺は、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、時代が変わり明治維新の時代には高杉晋作が騎兵隊からの賛同もないまま、力士隊(伊藤博文率いる)また遊撃隊(石川小五郎率いる)らわずか80人ほどで挙兵した場所でもあります。沢山の歴史ファンの方々が訪れるのだそうです・・・
以前も書いたのですが、高杉さん27歳の若さで亡くなったんですよね。
おもしろきこともなき世を(に)おもしろく
最後の歌が深いですね・・・
この旗あちらこちらで見かけました~これは誰がモデルなのでしょうか?
そして来年平成30年は明治維新から150年なのだそうですよ~
歴史の勉強しに是非山口へ~