英語話せません・・・アイムソーリー
留学生と下関へ
次男タイから帰国して、「あちらで沢山お世話になったんで自分も留学生にしてあげたい!」と早速留学生2人を下関の「唐戸市場」に(新鮮な魚やふぐが安くて美味しい)お寿司を食べに連れて行こう!と計画
「車貸してくれ」との連絡・・・しかし次男久しぶりの運転なので心配した旦那さんが「自分が連れていく!」ということになりました。
当日、タイ人の先輩が一人具合が悪いということで、なんとアメリカ人の教授をお連れすることに~~えっ~何話せばよいの?タイ人のお友達は日本語もほとんどお話しできるので安心していたのに(涙)
結局日本語が全然わからない教授と、日本語と英語が話せるタイ人のお友達と、一応英語話せる次男全く話せない夫婦二人の5人で行くことになりました・・・
残念ながらこの日は雨ということで霧がかかって火の山展望台何もみえません(泣)
赤間神宮
源平壇ノ浦の合戦で、二位の尼に抱かれ入水した幼き安徳天皇が祀られています。
「水天門」は竜宮造の楼門です。
安徳天皇は、最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられると、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。安徳天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱え、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した(『平家物語』「先帝身投」より)。
合戦の翌日漁師の網に御遺体が引っかかっていたのだそうです。
極楽浄土へ行けたでしょうか?6歳で・・・(涙)
ただいろいろと各地に生存説がありどこかで生きていたのではないか?といわれているそうです。だといいなぁ~
耳なし芳一
赤間神宮は以前は「阿弥陀寺」といわれていました。
阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいた。芳一は平家物語の弾き語りが得意で、特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手であった。
小泉八雲などの有名な怪談ですがこの場所にいるとまるで実話かと思ってしまいます・・・すぐそばには平家一門のお墓もあります。
このお話・・・最後芳一は琵琶の名手として有名になり何不自由無く暮らした。
とあります。ちょっとハッピーエンド~?
教授は寺院などにご興味があるようで喜んで頂けたようです・・・
こちらでお二人に今年の干支の置物をプレゼントしました。
次男が作った「パッタイ」
パッは炒める、タイはタイですね!米粉でできた麺を具材と混ぜて炒めた、焼きそばのような料理だそうです。私は何もするなといわれましたので、せっせとエビの背ワタのみ取りました〜そこは彼には面倒くさかった様ですw
米粉でできた太目の麺を20分ほどお湯につけときます。
具材は豆腐、ニラ、もやし、卵、エビ、砕いたピーナッツとあとタイでかってきた貝の缶詰?
あとソースはタイで買ってきた(たぶんナンプラーとか入ってる)ものをそのまま入れてました・・・これなら簡単!
彼が使ったのはこれではありませんが、こんな感じで市販されてるソースを使用してました。
彼も作るのは初めてらしくタイ人の友達とラインしながら作ってました!
完成!
盛り付けが今ひとつで心配でしたが~味はおいしかったです!甘辛くて
はまりそうですね~
私たちは練習台で次は友達に作るんだそうです・・・おいおい
最後に
英語がしゃべれないとこんなに不便なのね~
教授は高齢でしたのでたぶん今回長旅は疲れたと思うんですけど、気遣う言葉がすぐに出てこなくてパニック「えーとえーと・・・」
(日本語だって年上の方と話すときは緊張するのに~)
次男が通訳状態・・・次男が分からないとこはタイ人の友人がまた通訳
そして最後のあいさつもグダグダになってしまいまいた(泣)
しゃべれたらきっと楽しかっただろうなぁ
次男を大学へ送りまたそこから自宅へ帰る・・・気疲れと自己嫌悪
三男が旦那さんに「なんでお母さん機嫌悪いの?」と聞いてた・・・ゴメン・・・
反省そして、また自己嫌悪(泣)