伊都国と邪馬台国・・・かな?
吉野ケ里遺跡広いです!
でも大丈夫!バスでも回れるようになってますー
佐賀県神埼市にあります。この日小学生の社会科見学が行われていましたが、さすがに子供はみんな元気!走ってるし「こんにちはー」ってあいさつしてくれるんです~
(思い出します~うちの四男もこんなかわいい小学生だったのにその後「中二病」にかかってしまいました(涙)・・・)
この日だけでもなんと10校ほど来てるらしいです。
だいたい6年生の1学期に弥生時代の勉強をするらしいですが、ちょうどいい勉強になりますね・・・私の時代にもこういうのがあったら歴史もう少し興味もって勉強したのにw
北内郭(きたないかく)
最も重要で神聖な場所とされています。
弥生時代は約700年もの長~い時代続きました!
前期(紀元前5~前2世紀)中期(紀元前2~紀元1世紀)、後期は(紀元1~3世紀)後期の最盛期時代をもとに吉野ケ里は復元整備されています。
平日なのに以外に人が多い~
外環濠と城柵
弥生時代の前期に人が住み始めたと考えられています。
最初3ha規模の集落が、中期には20haになり後期には40haを超す国内最大規模の環濠集落となりました。
北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)
約2100年前の歴代の王、それに近い身分の人が埋葬された特別な墓です。
14基の「甕棺」(かめかん)と青銅の剣、ガラスの管玉などが出土されています。
こんな感じで足は折り曲げてたんですね・・・
甕棺墓列(かめかんぼれつ)
「甕棺」は北部九州特有の棺のことです。15,000基以上埋められているのでは?と考えられています。全長300mのわたり約500基の墓列が再現されています。
物見やぐら
兵士が侵入者を見張っていました。
「吉野ケ里遺跡」は「国営吉野ケ里歴史公園」として一体化され面積約97,1ha(国営公園約52,8ha、県立公園約44,3ha)が開園されてます。いやーほんとに広くて公園や古代植物の森までは回れませんでした。この日は大変暑かったのですが園内は「ミスト」が噴射されてて気持ちよかったです~しかしいつ秋になるの~(泣)
こちらは「伊都国」王の墓
福岡県糸島市にあります。ずっと来てみたかったんです!密かにここが卑弥呼の墓では?という噂が気になっていまして・・・
「伊都国」(いとこく)は「魏志倭人伝」にもでてきます。
ここから46,5cmの「内行花文鏡」(ないこうかもんきょう)が出土してます。これは国宝で世界最大級の銅鏡です。
また、装身具が多く「耳とう」と呼ばれるピアスのようなものが副葬されていたことから女王では?と考えられています。伊都国の女王で巫女!?
そして、発見された銅鏡は割られていたそうで謎が多い遺跡です。
平原遺跡
平原遺跡(国の史跡)は三雲南小路遺跡の西側の曽根段丘上に存在する弥生時代後期から終末期の 5基の周溝墓群を合わせた名称である。 その 1号墓の「王墓」は、「女王墓」ではないかと云われている。
静かで のどかな風景のなかにあります~意外でした
こちらは三雲南小路遺跡
最後に
魏志倭人伝に書かれている「邪馬台国」に吉野ケ里がそっくりだとされていますが・・・
う~ん吉野ケ里が邪馬台国なのか?伊都国の女王が実は卑弥呼なのか?まだまだ謎だらけですねw