拾い猫ヤマト

拾い猫ヤマト

日常を書いていきます

三十六歌仙絵~若宮八幡宮

なぜにこの神社に?

 江戸時代に優れた屏風絵、絵巻物を残した岩佐又兵衛勝似作「三十六歌仙絵」が発見された神社です。何故ここに伝来したかは不明らしいです(現在は福岡市美術館に委託されています)
60代の晩年の作品と言われていますが、兵庫出身で京都、福井、江戸で活躍していた又兵衛さんの作品がどういう経緯で九州の宮若市のこちらの神社にきたのでしょうか?
なんか謎ですね~

f:id:yamato1111:20160802104243j:plain

f:id:yamato1111:20160802104809j:plain

岩佐又兵衛勝似

摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の有岡城荒木村重の子として生まれる。誕生の翌年・天正7年(1579年)、村重は織田信長の家臣であったが、信長に反逆を企て、失敗する(有岡城の戦い)。落城に際して荒木一族はそのほとんどが斬殺されるが、数え年2歳の又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護される

成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、信長の息子織田信雄近習小姓役として仕えたという。文芸や画業などの諸芸をもって主君に仕える御伽衆のような存在だったと考えられる。信雄が改易後、浪人となった又兵衛は勝以を名乗り、京都で絵師として活動を始めたようである

岩佐又兵衛 - Wikipedia

俵屋宗達が「太陽」ならば岩佐又兵衛はまた「月」であると称されています。

f:id:yamato1111:20160802104721j:plain f:id:yamato1111:20160802104540j:plain

三十六歌仙

歌人の肖像画にその歌人の和歌を書き添え、社寺に奉納する習慣があったそうです。こちらの若宮八幡宮の三十六歌仙は中古三十六歌仙といわれています。

中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)は、藤原範兼の『後六々撰』に載っている和歌の名人36人の総称。三十六歌仙が選ばれた後に称されたもので、三十六歌仙に属されなかったが秀でた歌人とそれ以後の時代の歌人が選ばれている

中古三十六歌仙 - Wikipedia

作者が判明したのは1984年(昭和59年)最近のことなんですね~
当時は新聞などでも大きくとりあげられていたそうです・・・私の記憶には残念ながらありません。しかしこんなお宝がきれいに三十六枚揃って保管されていてよかったですね!

f:id:yamato1111:20160802104350j:plainf:id:yamato1111:20160802104450j:plain

 

f:id:yamato1111:20160803194145j:plain f:id:yamato1111:20160802104621j:plain

この木、もうどこへむかってるんだろう・・・
それでも青々と葉が茂っている生命力ってすごいなぁ~