拾い猫ヤマト

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拾い猫ヤマト

日常を書いていきます

さあ中津へいこう!~っておいおい

中津城

 お城にはまった旦那さんについていった第三弾です

また何の知識もないままついて行きました~

車が壊れる前に行ったんですが、旦那さんすでにこの時頭、インフルにかかっていたかもしれません・・・w

 

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私TV見ないんで知らなかったんですけど「黒田官兵衛」さん有名なんですね

岡田君かっこいいーwレンタルしてこなきゃ!

 

そして黒田官兵衛さんもやはり漢!っでした

人に媚びず富貴を望まず・・・わたしも遺訓を継ぎたいと思います!

黒田孝高

    • 築城の名手として知られ、居住した妻鹿城、中津城や福岡城の他、前野長康浅野長政らと共に、姫路城大坂城讃岐高松城石垣山城名護屋城広島城など、秀吉政権下での主要な築城に関わり、総奉行として縄張りや助言を行った。
      • 加藤清正は、自身の城は3~4日で落ちるが、福岡城は30~40日は落ちないなどと賞賛している。西には守備の草が江を利用した広大な池沼濠(大濠)、東から攻めてくる敵軍に対する防壁としては、博多に面した那珂川に長さ1.5キロにおよぶ高石垣が築かれており、川の上流にはいつでも使えるように材木が貯蔵されていたように、いつ戦になってもいいように万全の備えがなされていたことによる。
    • 倹約家で知られ、不要になった物は家臣に売り下げるなど、蓄財に励んだ。関ヶ原の戦い時にあれだけの速成軍を集めることができたのは、そのためである(一説によれば黒田長政の動員した兵が5,400とされ、それを上回る数であった)。一方で兵を集めた時は金を惜しまず、支度金を二度受け取ろうとする者に対しても何も言わずに笑いながら与えた。
    • 徳川秀忠は孝高を「今世の張良なるべし」と評した(三河後風土記)。
    • 歴史小説等では、不遇の天才武将として描かれることが多い。徳川家康と石田三成の合戦では、家康が勝利するが長期戦になるだろうと予見し、その間に九州を制覇し、家康が三成を破って兵が疲労しているところを一気に攻めて家康を倒し、自分が天下を取ろうとした。しかし息子の長政は西軍の小早川秀秋や吉川広家など諸将の寝返りを交渉する役目を務めており、その結果、関ヶ原の合戦は極めて短期間で終わってしまい、皮肉にも息子の活躍により野望を阻まれた、とする作品が多々存在する(後述も参照)。
    • 史実として確認できる業績からは、下克上や天下取りの野心を示した事は一度もない。小寺政職には「裏切った」のではなく「裏切られた」のであり、関ヶ原の合戦の際の徳川家康に関しても2人は(立場上は)同じ豊臣家の家臣であって主従ではなく、なおかつ同じ東軍であったから、敵対すらしていない。
    • 遺訓として「人に媚びず、富貴を望まず」がある。

引用黒田孝高 - Wikipedia

それにしてもなんで「福岡城」ないんだろう?加藤清正公が賞賛するほどなのに・・・

(ほとんど資料が残っていないらしい残念)

また、「光雲神社」桜の名所で、よくお花見していたところが実は「水鏡権現」として官兵衛さんがお祀りされている所でした~(子長政「武威円徳聖照権現」さんも御祀りされてます)

な~んだ地元まだまだ知らないこといっぱいでした!

 

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日本三大水城のひとつです。

中津川の河口にあり、鬼門には「闇無浜神社」、冬至に朝日が昇る方向「宇佐神宮」があり、夕陽は霊峰「英彦山」に沈む位置に建てられている。風水が使われているんですね。

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歴史

      • 天正15年(1587年) - 黒田孝高(如水)が、豊臣秀吉より豊前国6郡12万3000石(一説には16万石・その後の検地で18万石となる)を与えられる。当初、馬ヶ岳城に入城した。
      • 天正16年(1588年) - 黒田孝高(如水)は、領地の中心である山国川河口に中津城の築城を始めた。
      • 同年-熊本の一揆征伐で黒田孝高(如水)が中津城を留守の間に、嫡男の長政は、敵対していた城井鎮房(宇都宮鎮房)を中津城内に引き入れて、惨殺する。
      • 慶長5年(1600年) - 黒田家は関ヶ原の戦い時に、徳川方につき、中津城から西軍の所領を攻めた。長政の戦功により筑前52万石に加増、名島城に転封となり築城が中断される。
      • 同年 - 細川忠興が豊前国と豊後国2郡39万石で入封。大修築を開始する。
      • 慶長7年(1602年) - 小倉城築城に着手し、忠興は小倉城を主城、居城とする。修築中の中津城の城主は細川興秋になる。
      • 元和7年(1621年) - 扇形の縄張りに拡張され、中津城が完成。
      • 寛永9年(1632年) - 細川家熊本藩転封に伴い、小笠原長次が8万石で入封し事実上中津藩が成立。以後、中津城は中津藩藩主家の居城となる。
      • 享保2年(1717年) - 奥平昌成が10万石で入封。明治維新まで奥平家の居城となった。

引用中津城 - Wikipedia

 最近どこ行っても若い人多いんですよね「お城」って今ブームなんですかね?

そういえば、ニート君が「お母さん刀剣乱舞好きだと思うよ」っていってウチワをくれた・・・侍とかあんま興味ないし~と思ったけど、今ならおもしろいかもしれない。

「刀剣乱舞-ONLINE-」アンソロジー―出陣準備中! ― (プリンセス・コミックスDX)

中津は福沢諭吉さんが少年時代を過ごした場所、河童のお墓があり、なんといっても耶馬溪の景色はほんとに美しい、あと中津からあげ食べたいし!

こんどはゆっくり泊まりで行きたいな・・・

 旦那さんへ

「さあ、中津へいこう!」ってお願いだから突然朝言わないで~

洗濯もの途中でいわれても困るから・・・せめて全部干させて(泣)