「グラバー園」「大浦天主堂」長崎南山手~野母崎
長崎といえばグラバー園
わたしの中で~
日本最古の木造洋風建築~1961年国の重要文化財に指定される
これがあの隠し部屋(天井にあがれるようになっている)
幕末の志士たちが出入りしていたらしいです。
ひろい台所主婦のあごがれですね
コンニャク煉瓦・・・床に使われている煉瓦で、うすくてコンニャクのような形をしている。
トーマス・ブレーク・グラバー
1859年の安政の開港と同時に来日、日本の産業の近代化に大きな貢献をしました。
また、倒幕派の薩摩藩、長州藩などの若い志士たちの支援などもおこなっていました。
なんと敷地内にフリーメイソン・ロッジ(集会所)の門があり、マークが刻んであるらしいんですけど、気がつきませんでした・・・おー
「長崎ランタンムック」無料パンフレットをもっていくと大人610円が100円引き
(5名まで有効です)長崎総合案内所で配布されてました。
「ハートストーン」さわると恋がかなうらしいです・・・
2つあるらしいんですけどみつけられなかったので叶いませんw
すぐおとなりが「大浦天主堂」
信徒発見記念碑
グラバー邸建設者「小山秀之進」(天草出身)が1864年の末に当時「ふらんす寺」と呼ばれる教会を建てた。
「二十六聖人殉教」
豊臣秀吉はスペイン領フィリピンの総督に朝貢(属国化)を要求し、
1593年総督使節としてフランシスコ会のバウチスタ神父が来日。
布教しない条件で京都に滞在(しかし、実際は布教をおこないフランシスコ会員の来日が増えた)
1596年サン・フェリペ号(スペイン船)の漂着
「スペインは宣教師を派遣して現地人を改宗させて占領する」
との船員の話に、危機感をおぼえた秀吉がフランシスコ会関係者を中心に26人を捕らえ1597年2月5日長崎にて処刑
『出典:「大浦天主堂物語」監修カトリック長崎大司教区 執筆長崎の教会群インフォメーションセンター』
大浦天主堂は日本二十六聖人に捧げられた聖堂であるということです
本来は殉教地に建てたかったが、外人居留地外は許可が降りなかったため
今の場所に建てられた、教会の十字架は「二十六聖人殉教地」にむかっています。
十二歳とか十三歳、十四歳の子供も十字架にかけられたなんて・・・むごい(涙)
旧羅典神学校
木骨レンガ造り・・・骨になる木材をレンガで挟み込んでいる
100年以上経っている今でも使用に耐える建物となっている。
予科と本科あわせて十二年、授業はラテン語で行われたため羅典神学校と呼ばれる。
「野母」
かすかに「軍艦島」みえます
「水仙の里公園」
九州本土最南端にある長崎半島(野母半島)
五島灘、東シナ海、橘湾、天草灘などの海に囲まれ、年間70万人を超える観光客でにぎわうそうです。
この日は見れなかったけど、夕日がとってもきれいだそうです。
天然伊勢えび~が名産で、亜熱帯の植物が咲いてる自然豊な岬でした。
じつはまだわたしの大好きな神社仏閣がみれなかったんですっごい残念なんです
(熊野神社は658年に建てられた歴史の古い神社とか・・・)
また、いつか夏にいきたいな~旦那さんはつり好きなんでなんとか誘ってみよ~
運転手は必要なんでね!