「天照皇大神宮」~落ち着いたたたずまいです
九州の伊勢神宮
趣があります
福岡県粕屋町久山にあります
天照皇大神宮の歴史~
仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中、仲哀天皇は「われを祭れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」という神の託宣を疑ったために、その祟りをうけ香椎宮で崩御したといわれる。そのことを知った神功皇后は、小山田の村に斎宮(いつきのみや)を建て、自ら神主となり、天照大神を祀ったとされる。
『三代実録』巻卅二に、元慶元年(877年)12月15日辛巳(原作壬午)授筑前国従五位下織幡神正五位下。正六位下天照神従五位下。とある。
室町時代の末期には、都で大神の祭祀を司っていた豊丹生有時が、座列争いの罪で豊前国英彦山の麓に流されたとき、大神の御神体も豊前に移した。有時の子・兵庫大夫は神のお告げをうけて、御神体を伊野(猪野)に移し、宮居を建てた。天正14年(1586年)、立花城を攻めた島津氏は伊野にも侵入すると、兵庫大夫は御神体を守ろうと竃門山にかくしたが、島津兵はこれを奪って薩摩国に持ち去ろうとした。しかし途中で神の祟りを恐れて豊後国柞原八幡宮に納めた。その後、柞原の宮司に「伊野の里に帰すべし」との大神の託宣があり、柞原の宮司はその旨を伊野に知らせたので、兵庫大夫は御神体を再び伊野に迎え、以前のとおりお祀りすることができるようになったと伝えられている。
立花城主戸次道雪、名島城主小早川隆景、筑前藩主黒田長政など大名も崇敬した。筑前藩第3代藩主黒田光之は、延宝5年(1677年)に別所に社殿を造営し、大神宮を遷移し、造営に際して宮司豊丹生信重と工匠工藤太夫清重を伊勢神宮に派遣して、本殿から鳥居に至るまで伊勢神宮に模して造らせた。
最初気がつかなかったけど、旦那さんがなんか違うよね~?
伊勢鳥居(神明鳥居)と呼ばれ、2番めの横柱が貫通していないんですよ。
伊勢神宮いったことないですけど似てるんでしょうね
夫婦杉です・・・仲良く寄り添ってたってます。
1番パワーがありそうな場所です
椿ですね
パワースポットってなんだろう?
大地の気がみなぎる所~
本来は自然崇拝 山、川、湖には大地のエネルギーがあり、そこでパワーをあたえてもらおうということなんでしょう。
自然の中にいると心が安らぎますよね
神社は、神様の気があふれているということなんでしょうか
心が浄化される気がします・・・(この穢れまくりの心が!)
きっとこの猪野(伊野)に何かしらの意味があるから、お告げがあったんでしょうね。
落ち着く場所でした 春にまた来たいですね~
仲哀天皇は実在したか?
不明ですが、神功天皇は存在したであろうといわれています。
「宇美八幡宮」 ~宇美まち
神功天皇が三韓征伐より帰還され、えんじゅの木の枝につかまり安産にてこの地で応神天皇を産んだとされる。(「産み」から「宇美」がついたらしい)
(えんじゅ・・・蕾を乾燥させたものは、槐花(かいか)といって止血作用がある。)
神功天皇が 「安産」だったということで「子安の大神」と称されている
「子安の石」・・・石を預かって持ち帰り、出産後に別の新しい石に子供の名前等を書き記し
子の成長を祈り、持ち帰った石とともにお納めする。
私も持ち帰りましたよ~4人ともおかげで安産でした!
若干問題ありですが
「・・・」
みんな元気に育ってますよw