夕暮れから夜景へ~下関
彦島から夕暮れを~
下関市の南の端にある島です。
今は工業地帯や水産業も盛んな島ですが、その昔源平合戦の時には平家の拠点となった島でもあります・・・
ひこうき雲の残骸が見えます・・・
海峡ゆめタワー
上に球体がのっかってますが(?)総ガラス張りで直径21mあり、最上階143mまでエレベーターでたった70秒で着きます!うちのマンションのエレベーターより全然早い!
タワー全体のガラスは8700枚、ライトアップのライトは611灯あります。
ホテルで割引券もらっていたので540円で入れました!安いですよね~
駐車場もタワー利用者は5時間無料です・・・高いとこ苦手な私は5時間もいられませんけど(汗)
下関は他の施設の入館料もほとんどが200円とかですごーく良心的だと思います!
首が痛い・・・
ぼやけて見えますが肉眼では綺麗な満月なんです!
関門橋がうっすら見えます。
ずーっと月に見とれていたんで、30階の球体を一周回ろうと旦那さんに言われ
初めて気が付いた・・・
「おーーー若いカップルばっかり」
カップルの邪魔してはいけないかな~
と気をまわしてあまり写真撮れなかった(涙)
28階こちらは「恋人たちの聖地」だったんです~
道理でねーここもカップルばっかおじさんおばさんでごめんなさいね・・・(汗)
「ラブロック」なんというのも売ってましたよ~
旦那さんが「記念に買う?」
「馬鹿なの?(怒)」
走る車の中から観覧車を~
対岸の門司からも色が変わっていく綺麗なライト見えてるかな・・・
夕暮れや夜景が見れるのは貴重です。日帰りだとその前に帰るから・・・
以前歩いて渡った時は下関の夜景が見れるなんて思いもしなかったなぁ~
次は門司から下関の夜景が見たいな・・・観覧車と海峡ゆめタワーどんな風に見えるんだろう 。
関門トンネル(国道2号)門司と下関を繋ぐ海底トンネルですが、普通車150円で通れます~今時安い!人道は無料で歩いて渡れます!
本州と九州ほんと手軽に渡れるんですね!
庭園の美しさを堪能
今度は長府にやってきましたー
江戸時代長府毛利藩5万石の城下町として栄えました。武家屋敷の遺構などがあり風情豊かな街並みです。下関市の東側に位置します。
「長府」とは「長門国府」を縮めた名で、古名豊浦と呼ばれていました。
仲哀天皇が熊襲征伐の折
穴門(あなと)の豊浦宮に宮を営む。天皇はこの地に神功皇后とともに7年住まわれた~日本書紀より
「穴門」とは「長門」のことで、「豊浦宮」とは「長府にある忌宮神社」のことで国府がここにあったことは間違いないようです!
ここでも神功皇后に出会えるなんて~お会いしてはないですが嬉しいですw
長府毛利邸
長府毛利家14代当主の毛利元敏(もととし)公が、東京から下関へ移り住みこの地に建てられた邸宅です。明治31年に起工し完成は明治36年です。その後大正8年まで長府毛利家の邸宅として使われました。
なんと敷地が約10、000平方メートルもあります!
最初石垣と白壁に囲まれているのでお城があるのかと思ってしまいました・・・
杉苔とシダがとても生き生きしています。
日本庭園には赤い椿の花がよく合います・・・
なかに ふぐがいますよーさすが下関ですね
お天気もよくてこんな素敵な場所で読書などしてみたい・・・
そしてそのままお昼寝したいw
明治35年11月、明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際こちらのお部屋にご宿泊されました。
長府庭園
長府毛利藩の家老格であった西運長(にしゆきなが)のお屋敷跡です。
四季折々桜、松、ツツジ、金木犀、紅葉、菖蒲が楽しめる廻遊式庭園です。
孫文蓮
大正7年に来日した「中国革命の父」孫文が革命援助の御礼にと贈られた4粒の蓮の実
蓮博士の大賀一郎氏が育成し発芽させた蓮の花が、7月〜8月にかけて咲くのだそうです。
白地に淡いピンクの花
夜明けとともに咲き始め早朝満開となり午後には閉じてしまいます。
2,3日繰り返し4日目にはすべての花弁を落とし花托となります
見ることができる期間が短いので貴重ですね~この時期なんと朝5時から開園しているそうです。
http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/flower/sonbunren/choufu_teien.html
功山寺
長府にある曹同崇のお寺で、長府毛利家の菩提寺です。
創建は1327年で、1333年には後醍醐天皇の勅願時にもなっています。
国宝の仏殿です!
功山寺
柱の墨書により元応2年(1320年)の建立と判明する。入母屋造、檜皮葺き。一重裳階(もこし)付き。方三間の身舎の周囲に裳階をめぐらした形になる。堂内には本尊千手観音坐像を安置する。典型的な禅宗様仏殿で、鎌倉時代にさかのぼり、建立年代の明らかなものとして貴重である。
重厚で美しい造りに圧倒されます・・・
高杉晋作像
美しいだけではなくこの功山寺は、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、時代が変わり明治維新の時代には高杉晋作が騎兵隊からの賛同もないまま、力士隊(伊藤博文率いる)また遊撃隊(石川小五郎率いる)らわずか80人ほどで挙兵した場所でもあります。沢山の歴史ファンの方々が訪れるのだそうです・・・
以前も書いたのですが、高杉さん27歳の若さで亡くなったんですよね。
おもしろきこともなき世を(に)おもしろく
最後の歌が深いですね・・・
この旗あちらこちらで見かけました~これは誰がモデルなのでしょうか?
そして来年平成30年は明治維新から150年なのだそうですよ~
歴史の勉強しに是非山口へ~
絶景の神社~下関
福徳稲荷神社からの響灘~
角島からの帰り道、「ブルーライン」呼ばれる国道191号線の海沿いの道を通っていると、何やら神社があるようなので立ち寄ることに・・・今回ほとんど下調べなしなのでいきあたりばったりですw
結構急な坂道を登っていくと、そこにはまたまた素晴らしい景色が広がっていました!
こんなに海を見渡すことができる神社は珍しいのではないでしょうか?
これは夕日も見事でしょうね~
山口県西部(旧長門国)豊浦町宇賀犬鳴の稲城山中腹に鎮座しています。
「長門なる稲城の山の姫あやめ 時ならずして如月に咲く」
古歌にも詠われています。
そしてとても荘厳な雰囲気の神社です~
御祭神
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)谷川稲荷(下社)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)谷森稲荷(中社)
大市比売大神(おおいちひめのおおかみ)谷嶽稲荷(奥社)
五穀豊穣、商売繁盛、豊漁、交通安全、学業成就などのご利益があるそうです。
とりあえず私は四男の反抗期が終わることをお願しなくては身が持ちません・・・
あと次男は今年前厄(24、25、26歳まで続くのね~やっと長男が終わったと思ったのに)それに就活ですね・・・
結局息子のお願いになりますよねw
千本鳥居
願い事が成就された方たちが御礼に奉納を捧げたのだそうです。
開運の鳥居ですね~
でかいです!私と同じくらいの大きさです!
最後に
一泊だけではもったいないぐらい山口県広いし見どころ満載です。残念ながら今回はいけませんでしたが、同じ豊浦町の川棚は山口県周防市出身の俳人「種田山頭火」が100日ほど滞在し「川棚温泉は私の好きな風景だ。山裾を丘陵にめぐらせた地形においても申し分がない」と称賛し
「花いばら ここのつちにならうよ」と終生の地にと願うほど愛した場所があります。
酒と放浪と俳句の人・・・彼の壮絶な人生や行乞の旅で歌が生まれ、また凄い酒豪家で「句は心の酒」だと語っていた彼の足跡を追ってみたい気がします。
鴉啼いてわたしも一人
シンプルな言葉で彼の孤独が胸に刺さります・・・
次は城下町「萩」の方まで是非行ってみたいなぁ・・・下関市から84.9kmもあるんだね~
角島~コバルトブルーの海に現実逃避
死ぬまでに行きたい!世界の絶景
にも選出された「角島(つのしま)」は下関市豊北町の響灘(ひびきなだ)上にある島です。
コバルトブルーの海に架かる角島大橋は1780mもありなんとも言えない美しさです(しかも無料です!)
早朝自宅を出発してきた甲斐がありました~お天気もよくて海の色がサイコーです。
つい道の真ん中で写真を撮りたくなりますが危険です!結構車の往来が多いので・・・
あとバイクが多いです!走りたくなりますよね~この道は!いいー感じに曲線です。
朝9時頃着きましたが沢山の方がすでに写真を撮りに来ていてその人気にびっくり~
しろい砂浜に綺麗な海の色~
次男が友人たちと訪れた時「もうすごいきれいやったよー」
と話には聞いてました。
しかしその時は「おじさんおばさんが行ってもね~」とほとんど興味なくスルーしてたんですけどね・・・思い切ってきてよかったぁ~歳関係ないわこの景色は感動です。
角島灯台
海抜が約18.66mと低地に築造されるため高塔形式で建てられました。
高さ約30mもあります!24m付近まで、荒磨きの花崗切石を使いその上部は切り込みを入れた切石を装飾的に配し、柔らかい雰囲気を作り出しています。
とても温かみのある灯台です。
明治6年着工~明治9年点灯で3年を要しました。
外から見るだけで十分だ!と私は言ったのに、記念だからと説得され・・・
もちろんエレベーターはありません(涙)とくに最後の数段は急なのでちょっと後悔しましたけど~
上からの海の景色は最高でした!が高いところは苦手なので上ってすぐ降りることになりました。下りは早いーw
灯台の建設や監督にはイギリス人の技師で進められた為、官舎がレンガ造りで中の設備も暖炉があったり洋風で素敵でした(現在は灯台資料展示室となっています)
さいごに
この日の数日前に息子と喧嘩して私はプチ家出(旦那さんには連絡してましたw)
しかし息子ら誰も探しもしてくれず電話すらしてくれない(涙)
保育園で「おかあしゃん~おかあしゃん~~」と泣きながら鼻たらして離れんかった子が、今やなんでもかんでも私の言うことが気に障るらしい
「うるさい出ていけー」と彼に言われたから「こんな家出て行ってやる~~」となった
後日長男に話すと笑われた~それ逆やろ
子育ては忍耐!母の口癖・・・あ~~今更ながら思い知ります・・・
しかしこの綺麗な海にこころが癒されました~
ということでこのまま下関一泊旅行となりましたw
筑後吉井おひなさまめぐり~
今年で25回目!私は2回目
浮羽(うきは)吉井町は江戸時代有馬藩の城下町久留米~天領・日田を結んだ豊後街道の宿場町として栄えました。
2月11日~4月3日まで「箱雛」「おきあげ」といった珍しいおひなさまがいろんなお店に展示されてて、また関東風と京風で飾り方やそれぞれお顔が違ったりとどれを見ても飽きません!一つ一つがとても繊細です。
鏡田屋敷(かがみだやしき)
こちらは幕末から明治初期に建てられたお屋敷で、元は郡役所官舎だったそうです。
無料で見学できます!古いりっぱなお屋敷にひな人形がぴったり~
箱雛とおきあげ
歌舞伎や浮世絵を題材に下絵を描いて厚紙に写し、着物の端切れの布地を張り合わせて作ったのが「おきあげ」といいます。そして、各家庭の女性が手作りしたのだそうです。素晴らしいです!
居蔵の館
こちらは明治末期に建てられた土蔵造りの居蔵家です。
改築は大正初期で、精蝋業で財を成ほした大地主の分家として、銀行経営に携わっていた当主一家が移り住んだ建物です。
こちらも見学無料です!その時代には生きていませんが、とても懐かしいです。
2階にも上がれますが、昔の階段は傾斜がきつい(汗)
天井も凝ってますよね~これは湯気のしずくが落ちないようにしてるんですね。
うちには女の子がいませんので、おひなさま飾ることがない(あーそういえば私のはどこいったんだろうか?)
京雛、関東雛とお内裏様の位置が違うなんて今更知りました・・・右側が京雛なんですね。
また三人官女に一人だけ既婚者がいたぁ~一人だけ眉がないお方がいたんですね~w
毎年飾る女の子のお母さまは大変ですね・・・よかったうちは男で私には無理そうですもん。絶対4月になっても飾ってそうですから!
着物の柄も素敵です~
素戔嗚神社
今回三月三日のお雛祭りの日だったので、小さな女の子を連れたおじいちゃん、おばあちゃんが多かったです。
平日だったので、きっとパパママはお仕事なんでしょうね・・・
綺麗なお雛様を可愛い孫に見せたい!って感じでほほえましかったです。
(おじいちゃんが一生懸命パンフレット持って案内し、おばあちゃんがしっかり手を繋いで・・・)
一周するだけでも結構歩くので、自分たちだけでも疲れるのに孫の世話までは私は無理だわっw
唯一の女の子息子の彼女にお土産を買って帰宅しました・・・しかしなんでひなあられ?(菱餅をお祭りが終わるころに砕いたのがはじまり?と言われてるそうですけど)
菱餅
赤い餅は先祖を尊び、厄を祓い、解毒作用のある山梔子の実で赤味をつけ健康を祝うためであり桃の花をあらわしている。白い餅は菱の実を入れ、血圧低下の効果をえて、清浄を表し、残雪を模している。緑の草餅は初めは母子草(ハハコグサ)の草餅であったが「母子草をつく」と連想され代わりに増血効果がある蓬を使った。春先に芽吹く蓬の新芽によって穢れを祓い、萌える若草を喩えた。
ちゃんとそれぞれに意味もあるけど、色どりが可愛いです~桃の節句にぴったりですよね~