拾い猫ヤマト

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拾い猫ヤマト

日常を書いていきます

呼子大橋の下の弁天さん

厳島神社と弁天島

 佐賀県唐津市「加部島」を結ぶ「呼子大橋」の下に見える 「弁天島」は「弁天遊歩橋」で渡ることができます。

「呼子大橋」が緩やかな弧を描いているのは女島(弁天島の一つ)にある「弁天さん」の頭をまたがない様にとの配慮なのだそうです。神様に失礼ですものね~

オレンジ色のこの橋は全長220m、標準水面からの高さ4.2mと高いとこが苦手な私でも大丈夫な高さです。

満潮時は海中の魚が見えます。旦那さん「おーふぐがおるよー」と言ってますが私には海藻しか見えません・・・が下方までよくみえて透明度が高いです。
また干潮時には「弁天島呼子岩脈郡」(佐賀県天然記念物)の姿が現れます。



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凄く潮の香と風が心地よいです ~
そしてほとんど人が訪れない静かな場所です。

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厳島神社

「弁天さん」と呼ばれています。

御祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)湍津姫命(たぎつひめのみこと)ということですので「宗像三女神」ですね~

日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インド中国とは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視される事が多い。「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い。瀬織津姫が弁才天として祀られる例もあるが少ない。

引用弁才天 - Wikipedia

 

 

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厳島「いつくしま」は「いちきしまひめ」からきたのだそうで・・・なるほどね

特に「市杵嶋姫命」は美人で有名な神様だそうです!

海の神、財宝の神、美の神、音楽芸能の神ということですので
ここは財宝と美をお願いしてきましたwー

 

 

 

 

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弁天島は背が高い島のほうが「男島」、なだらかなほうが「女島」と呼ばれ
呼子で捕鯨が盛んだった江戸時代、漁師さんたちが大漁と航海の無事を祈り篤く信仰されてきたのだそうです。
仲良く並んでいることから夫婦円満、良縁、子宝の神としても人々に崇敬されています。

 

その昔、太閤秀吉が「朝鮮出兵」の為「名護屋城」滞在時、ここで「船遊び」をしたという有名な場所です。

  確か「名護屋城跡」からもこの弁天島が眺められたはず・・・

目の前の海で「船遊び」楽しんだんですね・・・ちょっと感動です。

秀吉公は1593年からのべ1年半ほど名護屋城に滞在したのだそうですが、

このところ 神功皇后の逸話を追ってきたので、秀吉公の話がつい「最近」に思えてしまいます~

四男の彼女

「こんにちはっー」

元気にはじけるような笑顔で挨拶~

前回の彼女もそうでしたが、今回の彼女もまた気強っあっ!元気そうな女の子が好きなんですね~(息子よく殴られるそうですw)

ちょっと前に会ったことがある長男によると「部屋の片隅で体育座りしてる感じの子!?」
と言っていたからなんかイメージが違うなと思っていたんですけど・・・

たぶん27歳の長男は、17歳の彼女からみると「おじさん」なんで警戒されたんでしょうね~

 

私が知ってる彼女・・・

それは、小学生の時四男と同じクラスだったからなんとなーく元気な女の子の記憶があったんです。オトトイの夕飯は思い出せないのにw
たしか三年生ぐらいの時うちの子に(名前は呼び捨て)バイバーイって遠くから手を振ってくれて、四男も「おーバイバイ」と返事して、なんかまるで男の子同士みたいな感じで・・・
ってなんでこんな「普通」の出来事を私も覚えていたのか不思議なんですけどねw

 

普段はツンの癖に、顔がにやけてるよ~

叩かれても顔が嬉しそうだよデレ過ぎー・・・私に叩かれるとめちゃ怒る癖に

反抗期で私には「うぜー」しか言わないのにそれでも一応紹介はしてくれるんだね

あんたホントは母のこと大好きなん?とは言わないけどね~また「うざっ」って言われるから・・・

 

小学生から友達だった子が彼女になるって漫画みたいだね~
二人並ぶと小学生のころを思い出して変な感じだけど可愛いい

春だなぁ・・・

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これ読まれたら絶対怒られるなぁ・・・

「住吉神社」と「忌宮神社」~下関

長門国一の宮「住吉神社」

 仲哀天皇の9年(200年)三韓征伐の際、新羅に向かう神功皇后に住𠮷三神(住吉大神)が現れ

「我和魂(にぎたま)は 玉身(みみ)の寿命(みいのち)を守り
 荒魂(あらたま)は 軍船(いくさのふね)を導かん」

との御神託を得て、戦勝した神功皇后はこの地に 祠を建て住𠮷大神の荒魂をお祀りしたことが始まりとされる。

古代、神霊は「荒魂」と「和魂」の二つより成り立つとされ
荒魂・・・勇敢果敢に活動する御霊。
和魂・・・穏和で得を備え、平和をもたらす御霊。
荒魂を下関「住吉神社」、和魂を大阪「住吉大社」にてお祀りすることになります。

 

 とても静かな落ち着いた杜の奥にひっそりと建っていました。朝ということでまだ参拝者も少なかったせいか、しーんと静まりかえってここだけ違う空気のようでした・・・

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 御祭神

第一殿 住吉大神 (底筒男命・中筒男命・表筒男命)荒魂
第二殿 応神天皇 (八幡大神)
第三殿 武内宿祢命たけのうちすくねのみこと (高良明神)
第四殿 神功皇后 (息長帯比売神)
第五殿 建御名方命たけみなかたのみこと (諏訪明神)

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 住吉大神とは伊邪那岐命が黄泉の国から帰り「禊祓(みそぎはらい)」の際に出現された神様なので、「お祓い」の神様としても有名です!

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本殿は国宝

室町初期の代表的な建築です。

九間舎社流れ造り・・・五社殿を合いの間で連結し社殿上の正面屋根(檜皮葺)
に、千鳥破風をのせ春日造りと流れ造りを組み合わせた特徴ある建物です。

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こちらの大楠はパワースポットです

武内宿祢命が三韓出陣の際に植えたと伝えられる大楠です。
根回りは60mの及ぶそうです・・・すごーい圧倒される
根っこが凄い!ほんとに生き物が這うような迫力です

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日本三大住吉の一つは博多にある住吉神社なんですね。
子供のころから参拝してたのに知らなかった~意外とそんなもんですねw

次は地元ですね~

 長門国二の宮忌宮神社

仲哀天皇・神功皇后が西国平定の時に、ここに「仮の皇居」として豊浦宮を建て7年間滞在したといわれています。

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仲哀天皇・神功皇后・応神天皇が祀られています。
古来、文武の神(勝運の神)として歴朝の尊崇(そんすう)厚く、また安産の神として庶民の信仰を受けてきた とあります。

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実は この日は骨董市があっていてとても賑わっていました~活気があります!

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 仲哀天皇8年(199年)に天照大神住吉三神による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのに始まると伝える。聖武天皇の時代に香椎宮から神功皇后・応神天皇を勧請・合祀し、仲哀天皇を祀る神殿を「豊浦宮」、神功皇后を祀る神殿を「忌宮」、応神天皇を祀る神殿を「豊明宮」と称し、三殿別立となっていた。中世に、火災により全て「忌宮」に合祀したことから「忌宮」と呼ばれるようになった。延喜式神名帳では「長門国豊浦郡 忌宮神社」と記載され、小社に列している

引用忌宮神社 - Wikipedia

「 香椎宮」がでてきます!

この時のブログにも相変わらず次男と四男のコトが出てくる(笑)~

 

鬼石と数方庭

豊浦宮に新羅の塵輪(じんりん)が熊襲を煽動し攻め寄せ皇軍を奮戦したが、宮門は破られ武将が相次いで討ち死にしていく様をご覧になった仲哀天皇
大いに憤らせ給い、御自ら弓矢を執って見事に塵輪を射倒された。
これを見た賊どもは色を失い退散した。皇軍は歓喜のあまり矛をかざし旗を振って塵輪の屍の周りを踊りまわったのが「数方庭」の起こり・・・と伝わる。

塵輪の首を切りその場に石を置いたが塵輪の顔が鬼に似ていたことから「鬼石」と呼んだ。

それ以降出陣の際はこの「鬼石」の周囲を踊りまわったとされる。

そばに寄るのがちょっと怖い感じですね~

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チャボ?
最初オブジェ?かと思うほどじーっとしていたのが、いきなりバタバタ動き出したんでうぉ~びっくり!こうやってみると尾っぽにかけて綺麗な線ですよね~

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最後に

福岡では神功皇后の逸話が伝承されてる神社がほんとに多いですけど、海を渡ったこの下関で触れることができて感激です!
神話ではなくやはり実在したんではないか?と思わせてくれる今回の旅でした!

しかしもっともっと勉強しなくては(汗)・・・

古事記/日本書紀 (まんがで読破Remix)

古事記/日本書紀 (まんがで読破Remix)

夕暮れから夜景へ~下関

彦島から夕暮れを~

下関市の南の端にある島です。
今は工業地帯や水産業も盛んな島ですが、その昔源平合戦の時には平家の拠点となった島でもあります・・・

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ひこうき雲の残骸が見えます・・・

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海峡ゆめタワー

上に球体がのっかってますが(?)総ガラス張りで直径21mあり、最上階143mまでエレベーターでたった70秒で着きます!うちのマンションのエレベーターより全然早い!
タワー全体のガラスは8700枚、ライトアップのライトは611灯あります。

ホテルで割引券もらっていたので540円で入れました!安いですよね~
駐車場もタワー利用者は5時間無料です・・・高いとこ苦手な私は5時間もいられませんけど(汗)
下関は他の施設の入館料もほとんどが200円とかですごーく良心的だと思います!

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首が痛い・・・

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ぼやけて見えますが肉眼では綺麗な満月なんです!
関門橋がうっすら見えます。

ずーっと月に見とれていたんで、30階の球体を一周回ろうと旦那さんに言われ
初めて気が付いた・・・
「おーーー若いカップルばっかり」

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カップルの邪魔してはいけないかな~
と気をまわしてあまり写真撮れなかった(涙)

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28階こちらは「恋人たちの聖地」だったんです~
道理でねーここもカップルばっかおじさんおばさんでごめんなさいね・・・(汗)

「ラブロック」なんというのも売ってましたよ~
旦那さんが「記念に買う?」
「馬鹿なの?(怒)」

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走る車の中から観覧車を~

対岸の門司からも色が変わっていく綺麗なライト見えてるかな・・・

 

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夕暮れや夜景が見れるのは貴重です。日帰りだとその前に帰るから・・・

以前歩いて渡った時は下関の夜景が見れるなんて思いもしなかったなぁ~
次は門司から下関の夜景が見たいな・・・観覧車と海峡ゆめタワーどんな風に見えるんだろう 。

yamato1111.hatenablog.com

 関門トンネル(国道2号)門司と下関を繋ぐ海底トンネルですが、普通車150円で通れます~今時安い!人道は無料で歩いて渡れます!
本州と九州ほんと手軽に渡れるんですね!

庭園の美しさを堪能

今度は長府にやってきましたー

江戸時代長府毛利藩5万石の城下町として栄えました。武家屋敷の遺構などがあり風情豊かな街並みです。下関市の東側に位置します。

「長府」とは「長門国府」を縮めた名で、古名豊浦と呼ばれていました。

仲哀天皇が熊襲征伐の折
穴門(あなと)の豊浦宮に宮を営む。天皇はこの地に神功皇后とともに7年住まわれた~日本書紀より

「穴門」とは「長門」のことで、「豊浦宮」とは「長府にある忌宮神社」のことで国府がここにあったことは間違いないようです!
ここでも神功皇后に出会えるなんて~お会いしてはないですが嬉しいですw

長府毛利邸

長府毛利家14代当主の毛利元敏(もととし)公が、東京から下関へ移り住みこの地に建てられた邸宅です。明治31年に起工し完成は明治36年です。その後大正8年まで長府毛利家の邸宅として使われました。
なんと敷地が約10、000平方メートルもあります!

最初石垣と白壁に囲まれているのでお城があるのかと思ってしまいました・・・

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杉苔とシダがとても生き生きしています。
日本庭園には赤い椿の花がよく合います・・・

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なかに ふぐがいますよーさすが下関ですね

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お天気もよくてこんな素敵な場所で読書などしてみたい・・・
そしてそのままお昼寝したいw

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明治35年11月、明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際こちらのお部屋にご宿泊されました。 

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長府庭園

長府毛利藩の家老格であった西運長(にしゆきなが)のお屋敷跡です。
四季折々桜、松、ツツジ、金木犀、紅葉、菖蒲が楽しめる廻遊式庭園です。

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孫文蓮

大正7年に来日した「中国革命の父」孫文が革命援助の御礼にと贈られた4粒の蓮の実

蓮博士の大賀一郎氏が育成し発芽させた蓮の花が、7月〜8月にかけて咲くのだそうです。
白地に淡いピンクの花
夜明けとともに咲き始め早朝満開となり午後には閉じてしまいます。
2,3日繰り返し4日目にはすべての花弁を落とし花托となります

見ることができる期間が短いので貴重ですね~この時期なんと朝5時から開園しているそうです。

http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/flower/sonbunren/choufu_teien.html

 

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功山寺

長府にある曹同崇のお寺で、長府毛利家の菩提寺です。

創建は1327年で、1333年には後醍醐天皇の勅願時にもなっています。

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国宝の仏殿です!

功山寺

柱の墨書により元応2年(1320年)の建立と判明する。入母屋造、檜皮葺き。一重裳階(もこし)付き。方三間の身舎の周囲に裳階をめぐらした形になる。堂内には本尊千手観音坐像を安置する。典型的な禅宗様仏殿で、鎌倉時代にさかのぼり、建立年代の明らかなものとして貴重である。

功山寺 - Wikipedia

重厚で美しい造りに圧倒されます・・・

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高杉晋作像

美しいだけではなくこの功山寺は、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、時代が変わり明治維新の時代には高杉晋作が騎兵隊からの賛同もないまま、力士隊(伊藤博文率いる)また遊撃隊(石川小五郎率いる)らわずか80人ほどで挙兵した場所でもあります。沢山の歴史ファンの方々が訪れるのだそうです・・・
以前も書いたのですが、高杉さん27歳の若さで亡くなったんですよね。

おもしろきこともなき世を(に)おもしろく

最後の歌が深いですね・・・

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この旗あちらこちらで見かけました~これは誰がモデルなのでしょうか?
そして来年平成30年は明治維新から150年なのだそうですよ~
歴史の勉強しに是非山口へ~

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www.ishin150.jp